「ファッション発達障害」
近年、この言葉を耳にすることがとても増えました。
これは、正式な発達障害の診断を受けていないにもかかわらず、「自分は発達障害だから…」と自称し、生きづらさや失敗を正当化するような言動を指す言葉です。
あらためまして こんにちは ゆーさくです。
僕は40歳を過ぎてから、ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)の併発型であることが発覚した、発達障害の当事者です
そんな僕から見て、この「ファッション発達障害」という言葉には、正直なところ、モヤモヤする気持ちがあります。
この記事では、「ファッション発達障害」という言葉の背景と問題点、そして当事者としてどんな意識で社会と関わっていくべきかについて、自分の視点からお伝えします。
・ファッション発達障害とは?
・ファッション発達障害の弊害
・ファッション発達障害と思われないために出来ること
「ファッション発達障害」とは何か?
「ファッション発達障害」という言葉が、近年SNSやネット上で広まり始めています。
ファッション発達障害とは
医師による発達障害の診断を受けていないのに、自分は発達障害だと公言し、
「だから配慮してほしい」
「できなくても仕方ない」
・・・、と周囲に過度な理解や対応を求めるような言動。
たとえば、
- 「自分、ADHDなんでミスしても許してください」
- 「朝が苦手なのはASD気質だから。遅刻しても仕方ない」
- 「発達障害だから、人が傷つく発言や迷惑がかかる行為をしてもOK」
・・・といった言い訳的な使い方が典型です。
ここ最近、こういうふるまいや言い方をして、発達障害であることを免罪符にしてやりたい放題な人が増え、周囲の人たちを困らせているケースが散見されるそうです。
発達障害の特性や個性をいいことに社会的責任を放棄したり、やりたい放題ふるまっていたりすれば・・・
当然ながら周囲の信頼は失われやすくなります。
「ファッション発達障害」がなぜ増えているのか?その背景
それでは、なぜファッション発達障害が近年増えているのでしょうか?
一つの背景には、SNSなどによる発達障害に関する情報の広がりがあります。
ネット上では、セルフチェックリストや「ADHDあるある」などが手軽に見られるようになりました。
その結果、「これ、僕も当てはまるかも」と思い、自分で「発達障害っぽい」と感じる人が増えることになったのです。
もちろん、チェックリストなどで簡易チェックを行い、自分を見つめ直すきっかけになるのは全く悪いことではありません。
しかし、正式な発達障害の診断を受けずに、自分の失敗や欠点をなんでも「発達障害のせい」にしてしまうのは、いかがなものかと思うのです。
なぜなら、本当に支援や配慮を必要としている人たちが、「甘えているだけでしょ」「言い訳に使っているだけ」と見なされやすくなるからです
当事者として感じる「ファッション発達障害」の弊害
僕は40代になってから、WAIS-ⅣやQEEGといった検査を受け、ADHD(注意欠如・多動症)とASD(自閉スペクトラム症)の併発型という診断を受けました。
それまではずっと「なんで自分はこんなにうまくいかないんだろう」と自分を責め続けていました。
ですが、診断を通してようやく自分の脳の特性を理解し、納得することができたと思います。
その後、当時の上司に勇気を出して打ち明けたところ、幸いにして別チームへの異動という配慮をしてもらうことができました。
今ではかなり働きやすい環境で、毎日元気に働かせてもらえています。
本当に感謝してもしきれません。
だからこそ――
「ファッション発達障害」という言葉が広がることには、強い危機感を抱いています。
発達障害は「性格」や気分ではなく、脳の特性です。
根本的に「治療」するものではなく、自分の苦手な部分を理解し、周囲と連携しながら対策や環境づくりをしていくことで、ようやく生活や仕事が成り立つ――
そんなギリギリの土台の上に、僕たちは立っています。
そんな中で、診断も対策もしないまま「自称するだけ」の人たちが目立つようになると、どうなるか。
本当に配慮が必要な当事者が、「また“発達障害”って言い訳にしてるんでしょ?」と見られてしまい、必要な支援を受けにくくなってしまう現実があります。
ただでさえ、世の中の発達障害についての理解はまだまだ十分とは言えません。
そんな状況で「誤解を生む言動」が広まってしまえば、僕たち当事者がさらに肩身の狭い思いをし、生きづらさが加速してしまうのです。

だからこそ、強く伝えたいんです。
本物の困りごとを抱え、毎日をどうにか乗り切っている当事者がいるということを――。
「ファッション発達障害」と言われないためにできること
では――
本当に困っているのに、「ファッション発達障害」と誤解されないためには、僕たち当事者に何ができるのでしょうか。
僕は下記の3つだと思っています
1.正式な診断を受ける
2.「配慮してもらって当然」という態度は出さない
3.「発達障害」をオープンにし過ぎない
1. 正式な診断を受ける
まずは、発達障害の専門家に正式な検査をしっかりしてもらうことです
発達障害の特性は、人それぞれ。
自分では「たぶんそうかも」と思っても、実際には別の要因が関わっている場合もあります。
WAIS-Ⅳ(知能検査)やQEEG(脳波検査)などを受けることで、自分の脳の働き方や苦手な傾向が「見える化」できます
それにより、客観的な根拠を持って自分自身を理解できるようになります。
もちろん、診断を受けたからといって、すぐに周囲の対応が劇的に変わるわけではありません。
でも、「主観」だけではなく「客観的なデータ」によって自分の特性を把握していることは、周囲と信頼関係を築く上ではとても大切なこと。
自分を「自称 発達障害」にしないためにも、まずは自分を正しく知ることから始める。
これが、「ファッション発達障害」と誤解されないために、僕たち当事者ができる一つの大切なステップだと感じています。


2. 「配慮してもらって当然」という態度は出さない
発達障害を持っているからといって、何でも許されるわけではありません。
仕事である以上、やはり一定の成果を出し、周りに貢献していかないといけない。
「自分は発達障害者なのだから、配慮してもらって当然だ」という態度を、前面に出すなんて言語道断。
僕らは、苦手なことがあるのは事実です。
それでも「自分にできる工夫」「周囲に迷惑をかけない配慮」を、こちらも意識して努力していく姿勢が必要があると思います。
僕は、仕事上のミスを減らすために
- 報連相をしっかり行う
- チェックリストや共有メモを作る
- ガジェットやツールなどに投資し、積極的に使う
・・・と、自分なりの工夫や対策を取っています。
その積み重ねによって、
「あの人なりに頑張っているんだな」
「この人には配慮する価値がある」
周囲から、こう思ってもらえるようになるのだと思います。





3. 「発達障害」をオープンにしすぎない
発達障害を公表(オープン)するかどうかは、とてもデリケートな問題です。
僕自身も、周囲のすべての人に自分の障害について打ち明けているわけではありません。
僕は、仕事上深く関わる同僚や上司、体調や働き方を心配してくれた人には、自分が発達障害であることを伝えています。
そうすることで、誤解なく話ができるし、具体的な対応策も講じやすくなるからです。
ただし、関係が浅い人や、無闇に事情を話しても混乱を生むような相手には、あえて何も言いません。
むやみやたらに「僕は発達障害です!」とアピールすることは、「ファッション」と受け取られ誤解を生むリスクにもなります。
「必要なタイミングで、必要な相手に対してのみオープンにする」
公表の判断には、そのくらい慎重さがあってもいいと僕は感じています。


発達障害のある人にとって、周囲の理解や環境の整備は、日々の生きやすさを大きく左右する大切な要素です。
ただ、それは「特別扱い」することではありません。
むしろ、その人が力を発揮するための「ベースづくり」だと僕は考えています。
配慮を受けることを当然と思うのではなく、まずは信頼関係を築いた上で、必要なサポートを丁寧にお願いする姿勢が欠かせません。
そして、発達障害であることは、決してファッション感覚で軽々しく語ってよいものではありません。
むやみに公言することで、かえって誤解や偏見を招くこともあります。
結果、本当に配慮を必要としている当事者が適切なサポートが受けられず、肩身の狭い思いをし、生きづらい世の中になってしまうでしょう。
だからこそ、社会全体が発達障害についての正しい理解を持ち、「本当に困っている人に、必要な配慮がきちんと届く環境」が広がっていくことを、心から願っています。
まとめ 「ファッション発達障害」と言われないために
まとめ
- 「ファッション発達障害」 とは
→医師による発達障害の診断を受けていないのに、自分は発達障害だと公言し、周囲に過度な理解や対応を求めるような言動。
- 「ファッション発達障害」という言葉が広がることで、当事者が誤解され、生きにくくなるリスクがある
- 自称ではなく、正式な診断・対策・信頼の積み重ねが大切
- 障害を「免罪符」にせず、誠実な行動で配慮を勝ち取っていくことが、社会との信頼関係をつくる第一歩
僕自身も、今後も「ファッション発達障害」と思われないように、そして必要な人に配慮が届くように、発信と行動を続けていきたいと思います。
~おわり~
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